(English follows)
1993年に、この身体で本質が目覚めた時、そのエゴ/マインドは、依然として主体/客体の見方を強く持っていました。「私には…が備わっていた」という幻想に過ぎない受け止め方を、完全に本質と統合させるまでには長い時間がかかりました。覚醒後、完全に非二元のものの見方をするようになるまでには、年単位の時間がかかっていました。中でも、この身体のエゴ/マインドにとって、とりわけ厄介な問題であったのが、チャネリングという概念とどう向き合っていくかということでした。
覚醒までの7年の間、この身体のアイデンティティーはチャネリングをする能力にしっかりと根差すものでした。しかも、チャネリングを業として行うことが、この身体の主な収入源でもありました。しかし、覚醒によりチャネリングという概念への信頼が揺らぎました。なぜなら、それは明らかに、覚醒により仮面が剥がされた幻想でしかない個人の一部であったからです。完全に自由になることが、そこに残されたただ一つのエゴの望みとなっていました。そこで、そのエゴはチャネリングは拒否されねばならないものと決めてかかったのです。かくして、クライアントのためのチャネリングは廃業となりました。
それから12年を経て、なんの前触れもなく、再びセント・ジャーメイン(サンジェルマン)のエネルギーが現れたのです。この頃になると、この身体のすることをジャッジしたり、やめさせようとしたりする、「私(me)」という主体(アイデンティティー)はなくなっていました。それがなくなったところ(空)から、エゴ/マインドの意識をはるかにしのぐ叡智あふれる言葉が自由に流れ始めたのです。全くもって思いがけないことでした。手が、マインドに向けてメッセージを書き連ねていくのです。文字が書かれていても、そこにはそれを行うための一切の精神活動はありません。言葉が口をついて出て行くとき、そのための、あるいはそれに伴う思考はいっさい働いていませんでした。一体なにが起きていたのでしょうか。それは、自分がかつてチャネリングと呼んでいたこととよく似ていました。しかし、違いがありました。メッセージを届ける役を担う「チャネリングをする人」がいなくなっていたのです。それは、覚醒した真我がその「ノウイング」を示していた、今なら「真我の表現」だと呼ぶようなことが起きていたのです。いかなるペルソナを使うことにしたにせよ、真我がそのものをフィルタリングなしに表現する自由を得たのです。
真我がこの身体を通して表現しようとするときに、どんな名前でも使うことができる、どんな源の名前を使うも自由となった、人の名前でもよし、あるいはいっさい使わないこともよしということになったのです。より高次の叡智が必要となればいつでも、真我はシンプルにその叡智を会話に含めるようになります。これは、この身体がサットサンやワークショップ、コーチングやエモーショナルクリアリングのセッションを行っているときにとりわけ助けになります。真我の表現というのは、まるでチャネリングのようなものです。それでいて、そこには退いて道を空けてメッセージが届けられるようにする必要のある「自我を持った自分」が存在していないのです。
When True Self awakened in this body in 1993, the ego-mind was still very strong in its subject-object point of view. It took awhile to fit together the Truth with all the illusory perceptions “I” was equipped with. It took years of deepening that Awakening before non-duality understanding fully prevailed. One of the most challenging issues for this body’s ego-mind to deal with was the concept of channeling.
For seven years prior to Awakening, this body’s identity was grounded in the ability to channel, and the business of channeling was the body’s primary source of financial support. But Awakening discredited the concept of channeling, as it was clearly part of the illusionary persona that had just been unmasked. Being fully liberated was now the only remaining ego desire, consequently ego determined that channeling must be rejected, so channeling for clients was no longer engaged in.
12 years later, without warning, the energy of Saint Germain appeared once again. By this time there was no identity as “me” judging the body’s actions or attempting to stop it. Words of wisdom beyond ego-mind’s awareness began to freely appear from this emptiness, when least expected. The hand wrote messages to the mind, without any mental thoughts proceeding those written impressions. The mouth spouted concepts without a single thought proceeding or accompanying them. What was happening? It looked like what I used to call channeling, but now there was no “channeler” bringing these messages forth. It was the Awakened True Self presenting its “knowing,” which I now call “True Self expression.” In whatever persona it chooses to use, True Self has been freed to express ItSelf unfiltered.
True Self is now free to use any source name, or personality (or none), when expressing itself through this body. Whenever some higher wisdom is needed, It simply includes that wisdom in a conversation. This is particularly helpful when this body is leading satsang, teaching a workshop, coaching, or facilitating an Emotional Clearing session. True Self Expression is just like channeling, but there is no “ego involved I” needing to step aside before a message can be delivered.
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