top of page
Writer's pictureAruna Byers

The Flavor of Your Spiritual Teacher スピリチュアル・ティーチャーごとのあじわい


Aruna’s blog Sept. 2015

English follows:

日本を拠点にしているアドヴァイタの教師は、この身体ひとつだけのようで、そのためか、ラマナ・マハリシと比べられたり、彼の教えについて質問されることがよくあります。確かに、自身の覚醒と覚醒のディープニング(深めていくこと)において、ラマナ・マハリシの問いかけのプロセス(Self-Inquiry)を使い、その効果に浴しました。しかし、私は彼の教えを学んでいません。まして、彼の教えに通じているなどと言ったことは一度もありません。直接的に、私自身の覚醒を助ける教師となってくれた方の名前をあげるなら、H.W.L. プンジャ(パパジ)と、その弟子ガンガジです。二人はともに真我を体現するアドヴァイタの教師ですが、二人のスタイルも、そのテーマに対するアプローチも、同じではなく独自のものです。それは、私自身の伝え方についても言えることです。目覚めた教師という点では共通しているのに、なぜそんなにも明らかな違いがあるのでしょう。

それは、実際に教えているのは、そうした教師たちの姿形ではないからです。二元的な幻想を通じて世界を見れば、そのように映りますが、そうではないのです。先にあげたお馴染みの面々は、全員が、自分の本当のアイデンティティーは名前や姿形ではないということを悟っています。名前や姿形というのは、他人が、彼らのことをそのように受け止めているということです。彼らは、自分は意識そのものであることがわかっています。その同じひとつの意識そのものが、自らつくり出した一つひとつ、一人ひとりを通じて比類のない表現をしているのです。ちょうど見た目が違うのと同じように、スピリチュアルな教えの届け方も異なるということです。この見た目の違い、表現の違いがあるがゆえに、分離という幻想が保たれているわけですが、その多様性があるからこそ、心を開き受け入れていこうとする生徒一人ひとりにそれぞれ教師(とその教え)がもたらされることとなり、そこでつながり合い、メッセージを受け取ることができます。真の目覚めを指し示し、自分が受け取れるようにメッセージを伝える真の教師を見つけるまでには、何度かトライする必要があるかもしれません。しかし、ひとたびそのような相手を見つけたならば、課題を仕上げるまでは、その相手についていくのです。覚醒を指し示す真の教えは、そのどれを取っても導く先は同じであっても、師事する相手を次々に変えていくことは混乱に繋がり、ひいては覚醒のプロセスから逸れることにつながることに心してください。

パパジが私の師であり、その彼が師事したのがラマナ・マハリシです。ですから、覚醒を経ていない人にとっては、私が先達の教えを引用すると想定されるのは、しごく当然なことでしょう。しかしながら、実際にはそうではありません。なぜなら、私が口にすることは、私自身が発していることではないからです。それは、パパジやラマナも同じです。彼らの口を通して伝えられたことは、何一つ、彼ら自身から発せられてはいませんでした。本当は、パパジ、ラマナ、ガンガジ、アルーナという存在は(その意味では、皆さんという存在も)、ないのです。人の姿形を持ち、アドヴァイタの教えを届けている各人は、その誰もが、ただひとつの意識が、その人々を通して、その意識自身を表現するための器なのです。同じひとつの意識であるということは、まだ覚醒していない人々を通して、その教えを求めているのも、また同じ意識なのだということです。本当は、その同じ意識が、教え導き、それ自身の教えを学んでいるのです。それはまた、覚醒についても同じです。それ自身が、それ自身のあらゆる形態、多種多様な存在形態を通じて、それらを、つまりそれ自身を目覚めさせようとするのです。

そのことに気づくので、覚醒した人のほとんどが声をあげて笑うのです。コズミックジョーク(宇宙的冗談)に気づいてしまったわけです。

一旦目覚めたら、そして、エゴ(自我)/マインドの各人における同一化によって真実と幻想とが混乱するということがなくなったら、意識がことを進めていくのが容易になります。先にも書きましたが、覚醒すると、本当はラマナもパパジも自分も相手もいなかったのだということがわかります。この実感が、静かなるマインドとオープンなハートへと深められていくと、自分の中に存在するその意識が、このこと(真実)を完全に理解できるようになるのです。深めていくためにはどうするかというと、自我の持つあらゆる信念、態度、姿勢、概念を脱ぎ捨てるのです。それらは全て、真実とは相いれないものです。そうなって初めて、純粋な意識が、それ自身(真我)を、本当の意味で自由に表現することができるようになり、他の存在(被創造物)を自らと同じ様に本物になるように導くことができるようになるのです。

それがどのような姿形の相手であれ、その相手を崇拝したり、その相手だけが真理の究極的な伝え手だと思ったりすることのないようにしなさいと、真の教師なら告げるでしょう。なぜなら、意識は、いかなる姿形をしていても、その存在だけに限定されることはないからです。意識は、『あらゆる』姿を擁します。全ての形を含むのです。そして、ある意味では、与えられた身体のひとつ残らず全ての個人の経験を含むようにして、その一つひとつ、一人ひとりを通して表現するのです。覚醒した真の教師は、他の教師の言葉の引用で伝えていくのではありません。その姿(自分の口)から自由に流れてくることが、純粋な意識であると、わかっているからです。エゴ/マインドには、それを評価することも、それをもとに改善して伝えることも、絶対にできません。そうした教師は、意識が教師の口を通して、なんであれ受け手が聞く必要のあることを伝えている間、静寂であり、空であり、気づきの中にいます。だからこそ、本物の、生身の、目覚めた教師のサポートがなくてはならないのす。

Since this body seems to be the only Advaita teacher based in Japan, I am often being compared to Ramana Maharshi or asked about his teachings. Although I effectively used his Self-Inquiry process in my own Awakening and deepening, I neither studied his teachings, nor claim any expertise in them. The teachers who supported my Awakening in a direct way were H.W.L. Poonja (Papaji) and his student Gangaji. Ramana, Papaji and Gangaji are all Self-realized Advaita teachers, yet each of them had their own unique style and approach to the subject. The same applies to the way I teach. Why the apparent variation from one awakened teacher to another?

Because none of these forms is the actual teacher, even though it appears that way to anyone perceiving the world through the dualistic illusion. Each of the familiar forms named above has realized that their true identity is not the name and form that others perceive. They know that who they really are is consciousness itself, the same consciousness that expresses through each and every one of its creations in a unique way. Just as appearances differ, so too does the delivery of spiritual teachings. This diversity of appearance and expression is what maintains the illusion of separateness — but it is that diversity which provides each open and receptive student, a teacher (and teaching), with whom they can relate and receive the message. Finding an authentic teacher that presents the Awakening message in a way you can receive it might require several tryouts, but once you find the one for you, stick with them until the job is done. Even though all authentic Awakening teachings lead to the same destination, they will differ in approach, but please note that switching from one to another can cause confusion and be a distraction from the Awakening process.

Because Papaji was my teacher and his teacher was Ramana Maharshi, it seems natural for those who have not yet awakened to assume that I would be quoting my predecessors; yet this is not the case because I am not the source of what comes out of my mouth, just as Papaji and Ramana were not the actual source of anything they said. In reality there is no Papaji, Ramana, Gangaji, Aruna (or YOU for that matter). Each human form that brings forth the Advaita teachings is a vessel for the ONE consciousness to express itself through; it is the same consciousness that seeks these teachings through those not yet awakened. In reality, the same consciousness teaches and studies its own teachings. It does so to Awaken itself in all of its various forms.

Realizing that is why most who Awaken do so with laughter. They have discovered the cosmic joke.

Once Awakened, and after ego-mind’s personal identity is no longer confusing reality with illusion, it becomes easy for consciousness to proceed. As I have mentioned, awakening reveals that in reality there is No Ramana, No Papaji, No me and No you. The consciousness that exists within you will be fully capable of understanding this Truth when this realization has deepened into a quiet mind and open heart; which is done by casting off all of ego’s beliefs, attitudes and concepts that are contrary to this Truth. Only then is pure consciousness FREE to authentically express itSelf and lead its other creations to the same degree of authenticity.

An authentic teacher will tell you: don’t idolize or hold any form to be the only and ultimate purveyor of truth, as consciousness is not limited to any one form. Consciousness includes ALL forms, and expresses through each one of them in a way that includes any and every given body’s personal experiences. An authentic Awakened teacher will not be quoting other teachers, as he or she knows that what freely flows through their form is pure consciousness, not anything the ego-mind could possibly evaluate or improve upon. Such a teacher will remain quiet, empty and aware, while consciousness delivers whatever message those listening need to hear.

This is precisely why you must be supported by an authentic, LIVING, Awakened teacher.


53 views0 comments

Recent Posts

See All
bottom of page