Blog May 15
Ego says, “I can’t live without this person, this relationship, this home, this income, this crystal, this accomplishment, etc.” Since the natural order of things in a human life is that everything comes and goes, we do not get to hold onto those we love. When we lose them we will grieve, (yes even Awakened people grieve the loss of those closest to them), but we do not need to get stuck in our grief. We can feel our feelings of loss and at the same time be at peace with what has happened, and appreciative of the time we had together.
Whatever it is that we become attached to, it most likely will not be with us until we die, as everything comes and goes except for our actual existence as consciousness. Who or what we are attached to is going to leave us at some point, unless we leave them first.
The good news is that we do not need to do anything to “let go of our attachments” before Awakening, just be willing to. Most of us who are ripe enough for Awakening have already discovered that there is nothing in the material world that will bring us unwavering peace and joy, so we are no longer looking for it in people or things. We are willing to divest ourselves of anything that keeps us from Awakening.
Once Awake, we discover that it is possible to love everyone exactly as they are, without any clinging. We can see them as they really are (us in a different form), and know there is nothing that could ever separate us from them, even if we never see them again. When we know who we are, we no longer emotionally react to physical separation the way we did before Awakening.
エゴは言います、「この人なしでは生きられない」「この関係がだめになったら」「この家がないと」「この収入が絶たれたら」「この水晶がなければ」「これをやり遂げなかったら」などなど。人の一生について言えること、自然の秩序(ことわり)として言えること、それは、あらゆるものが、やって来ては去って行くということです。ですから、私たちは、愛する人々のことをぎゅっとつかまえて放さないまま、ということはありません。私たちは、愛する人々を失えば、悲嘆に暮れます(そうです。覚醒した人々でも、身近な存在を失えば悲しみます)。しかし、私たちは、悲しみにとらわれる必要はないのです。相手を失ったが故の喪失感を覚えながらも、それと同時にその出来事について穏やかでいることが、また、共に過ごした時間に心から感謝することが、私たちにはできるのです。
私たちが愛着を持つようになったものと、死ぬときまで共に過ごせるかといえば、それがなんであれ、そのようなことはまずありません。なぜなら、あらゆるものが、来たりて去り行くものだからです。それに当てはまらないのは、意識としての私たちの存在そのものだけです。誰であれ、あるいは何であれ、私たちが愛情を持つ対象は、いつか私たちのもとから去っていきます。もしくは、私たちの方から、去るときがやってきます。
耳寄りな話をします。私たちは、覚醒前に〝私たちの愛着を手放す〟ために、何もする必要はありません。ただ手放そうとするだけで良いのです。覚醒に向けて期が熟している人のほとんどが、この物質界にあるものの中には、揺るぎない穏やかさや喜びをもたらすものなど存在しないということを、すでに発見しています。ですから、もはや、人々の中や、物事の中に、そのようなものを探し求めることはしないのです。自らを、覚醒から遠ざけるものは何でも、喜んで投げ出そうとするのです。
目覚めると、私たちは、全ての人をあるがままに、一切纏わりつくようなことはなくあるがままに、愛することができることが分かります。相手のことをあるがまま、その本当のすがたを(つまり、別の姿形をしている私たち自身として)みることができるようになっていますから、自分と相手を隔てるものなど存在していなかったことがわかります。それは、その相手とは、二度と会うことがないのだとしても、同じです。私たちは、本当の自分が誰なのかがわかると、覚醒前のように、物理的な別離に対して感情的に反応することは、もうありません。