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Aruna

Deepening an Awakening 覚醒をディープニングする (〝悟後の修行〟)


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My spiritual awakening in 1993 brought a huge ah-ha that changed my perception of reality forever, but fully integrating and embodying that shift in consciousness has been an ongoing process.

Each time I was faced with a situation in life that triggered a physical or emotional reaction I was able to release something that lingered from the past. Here’s how I did it: Whenever a reaction to life’s circumstances appeared I would welcome it, feel it, and allow the energy it stirred up to flow through and be released of its own accord. I used self-inquiry to stop thinking about what was happening, or what could be done to change the reaction or the circumstances that evoked it. Emotions that had been repressed since childhood showed up, and some would hang around for weeks before the disturbing energy dispersed. These were the many opportunities to re-identify with the ego’s fabricated story that began to be “on parade” in my mind. It was as if consciousness was asking, ”Can you remain in stillness with this?” and “How about this?”

Full House Cleaning

As the years passed, every circumstance I had ever resisted showed up, pulling me into one form of chaos or another. That included: being injured when my car was hit from behind; hospitalization for liver failure from taking an ordinary over-the-counter pain medication; a dramatic loss of income and enormous debt; estrangement from a loved one; the threat of foreclosure on my home; constant harassment from bill collectors; a bad case of shingles, and the sudden loss of most of my hair. Everything I had achieved, the reputation of integrity I had so carefully built and the magical life I had enjoyed for many years all disappeared. I was physically depleted, but needed money, so I did what I could to get a job. Even though I had a lot of professional skills and experience, there did not seem to be a place for me in the existing job market—I was turned down for one job after another.

There were no clues about what would be next, so I had no choice but to make peace with “not knowing.” A stream of what seemed like opportunities, but turned out to be “scams” presented themselves, creating more stress and additional debt. Had I not been able to rest the mind in the heart, I would likely have ended up in a psychiatric hospital. Fortunately, the profound realization I experienced in 1993 had become solid, enabling me to get through all of the chaos with abiding inner stillness.

I meditated frequently, and remained present with “what is,” as life continued to unfold. As I continued to dive into stillness, facing each new challenge, that stillness became the norm and the mind became quiet. At some point I recognized that my realization was now solid, and that there was nothing for “me” left to do except wait for whatever revealed itself next. The freedom from mind domination had simplified my life.

 私にとって、1993年の霊的覚醒は、とてつもなく大きな「そうだったのか!」をもたらすもので、それ以来、自分の現実のとらえかたが一変しました。しかし、その意識の変化を完全に統合して、十分に体現していく道程は、今もずっと続いています。

 これまで、日々の暮らしの中で、身体面あるいは感情面の反応を呼び起こされるような状況に直面したときにはいつも、過去からその時点まで消えずに残っていた何かを手放すことができました。そのやり方を説明します。自分に何かが起きて、自分がそれに反応したときは、必ずその反応を進んで迎え入れます。感じるようにするのです。そして、その反応(エネルギーです)がかき立てられ、流れていき、そのエネルギーが自然と解放されていくにまかせます。私は、そういう時に、何が起きているのだろうとか、その反応を変えるために何ができるだろうとか、その反応のきっかけとなった状況について考えることを止めるために、自己への問いかけ(self-inquiry)を使いました。幼い頃から押し殺していた感情がいくつも出てきたときには、そうしたかき乱すように感じられるエネルギーが流れ出ていくまでに何週間もかかりました。そういうときには、マインドの中でエゴが織りなす物語に再び同一化するきっかけが、たくさん転がっています。まるで、「これでもまだ静けさの中にいられるかい?」とか、「これならどうだい?」と、問い続けられているようでした。

大挙してやってきた大掃除

 やがて、私は、かつての自分が我慢していた状況に、次々に見舞われるようになりました。次から次へと、混沌とした状況に引きずり込まれることが続いたのです。その出来事を挙げて行きます。車で、後ろから追突され負傷。痛み止めの市販薬による肝不全で入院。劇的なまでに突然の収入喪失と大きな負債。愛してやまない相手との疎遠。自宅差し押さえの危機。取立人のいやがらせ。重い帯状疱疹。突然の脱毛により髪がほとんど抜け落ちるなどです。つまり、それまでに私が成し遂げたこと、誠実に、慎重な上にも慎重さを積み重ねて築いた評判、何年間も享受してきた魔法のような生活など、それらすべてが消え失せてしまいました。肉体的にも消耗しましたが、お金は必要でしたから、仕事を得るためにできるだけのことをしました。プロとして収めた技能も少なくはなく、豊富な経験の持ち合わせもあったにもかかわらず、既存の労働市場には私の入り込む隙間はないようで、断られてばかりでした。

 次に何が起きるのか、皆目見当もつかない状況で、私に残されていたのは『わからないでいる』のを受け入れることだけでした。一見チャンスが巡ってきたように見えたものは、実は詐欺であることがわかり、さらなるストレスと負債につながりました。マインドをハートで休めるということができなかったとしたら、心を病んで病院に入ることになっていたかもしれません。幸いにも、私が1993年に迎えた深い気づきはさらに揺るぎないものとなっており、つねに消えることのない内なる静けさとともに、混沌の連続を乗り切ることができました。

 人生がめまぐるしい展開を見せる中、私は、瞑想を繰り返し、つねに『大いなるすべて』とともにありました。そして、内なる静けさへ飛び込んでいくことを続けながら、次の試練に直面していきました。すると、その内なる静けさが普通の状態となり、マインドが静かになりました。あるとき、自分の気づきが揺るぎないものになっていることに気がつきました。そして、「『私が』何かをする」ということは、もう残っていないのだということがわかりました。ただ次に姿を現すことを、おのずと明らかなことを、待っていれば良い(それだけが残されている)ということでした。マインドの支配から解放されたことにより、私の人生はシンプルになりました。

 私の試練は終わったとは言えませんが、試練に直面しても、それにより精神的に、あるいは感情面で、かき乱されるということはなくなりました。不快感やフラストレーションを覚えることはあるのかと問われれば、答えはイエスです。ただ、それらはあっという間に通り過ぎていきます。

 今、私が欲するただ一つのこと、それはみなさんが覚醒して、みなさんも静けさを楽しむことができるようになることです。その静けさ、穏やかさがあったので、私は人生の試練に連続して直面したとき、ゆったりと心をうしなわずにやり遂げることができました。この経験を通して、心から覚醒に取り組む人には誰でも、つねに消えることのない内なる平和と幸せを味わい、たのしむことが可能なのだということに得心がいきました。それをお望みですか? お望みであれば、お手伝いします。

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